一週間前のことである。神戸児童殺傷事件の犯人で、当時14歳の男性が仮退院をした。そして先日、その男性の両親それぞれの手記を新聞で読んだ。一生、どんなに辛くとも、その男性とともに償いの人生を全うする決意が書かれていた。はたして犠牲者遺族の心がこれによってどの程度癒されるかはわからないが、しかし加害者の親が、親としての責任を最大限重く受け止めていることは確かである。その男性がまた世間のどこかで本当に普通の人生を送れるのか、世間の風の冷たさに耐え切れずにまた犯罪を犯しはしないか、そんな不安は誰もが抱こうが、そこは正当な手続きを踏んだ結果の当局の判断を信ずるほかない。ただ、両親の人生全てを賭けた覚悟ではあったが、それを読んだ後も、大きな疲労感。私には犠牲者遺族が不憫で、不憫でたまらない。
昨日のことである。オウム真理教の松本被告の3女が、和光大学への入学を拒否された。大いに悩んだ挙句の判断だったようだ。あの恐るべき犯罪行為を思い出せば、そうしたくなる気持ちも分からないではない。自分の大学ではなかったことにほっとしている大学関係者も多いことだろう。だが、やはりよく考えると、親が重大事件の被疑者であるという理由で、その子がこのような仕打ちを受けることは果たして許されるのであろうか。子供は親を選べないのである。子供が犯罪を犯した場合の親の責任は問うことができても、親が犯罪を犯した場合の子の責任は問えないというのが、普通の感覚ではなかろか。 |
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