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確か昨年も、原子力発電に関する信頼が揺らぎ、電力不足が心配された夏だったと記
憶している。なんとか需要ピークの前に地元の同意を取り付け、電力会社が稼働を再
開できた。それでも3年前まで80%を越えていた原子力発電所の設備稼働率は昨年
遂に60%を下回った。そんな苦い体験を経ても、今回の美浜原子力発電所での11
名の死傷者事故は避けられなかったのであろうか。日を追って人災であることが明ら
かになってきている。10年以上前に交換が必要だった配管を放置していたというか
ら、言葉を失う。先日日記にも書いたように
(http://www.k-tajima.net/diary/040803.html)まさにこれからプルサーマルに関
する議論も本格化しようとする矢先に、原子力発電推進にとっては実に致命的な大事
故と言える。放射能漏れが無いいわゆる「二次系」ということで油断していた面もあ
ろうが、他に類を見ない程に国民全体から安全性に関して注目を浴びている原子力発
電に関して、またもや人間の愚かさを露呈してしまった。
それにしても、地元福井県の決断は毅然としていた。原発は地場産業としてこれまで
手厚く支援してきたにもかかわらず、今回の件で関西電力への不信感は頂点に達し、
運転中のものを含む4基すべての原発の停止点検を要請し、「他の原発は止めない」
とかたくなだった関電を翻意させた。関電にとってはこれだけで100億円にのぼる
減収だと言われるが、まったく当然の判断であろう。しかし、関電の減収などという
瑣末な問題ではなく、この事故を機に、我々は日本の電力を今後どのように供給して
いくべきか、また基本に立ち返って議論をすべきときに来ていると思う。原子力はい
ま既に日本の総電力需要の25%以上をカバーしている最大の電力供給源となってい
る。しかし、取り返しのつかない事故が起きてからでは遅いのだ。そして今回の事故
は、そのような取り返しのつかない事故が、やはりかなり高い確率で人災として起き
るだろう、ということを多くの国民に予感させるだけの厳しさがあったのである。
未だに電力需要は緩やかに増えているとは言え、再来年からは日本の人口が史上初め
て天井を打つ(2007年から減少に転ずる)と言われている。また風力発電のよう
な新しい供給技術に、行政が欧州ほどの支援体制を持っていないことも事実であろ
う。東シナ海やサハリンでの資源開発も新たな展開が期待できる。しかし、一方で二
酸化炭素の発生は今後一層抑制させねばならない。最悪、私が住んでいたころのフィ
リピンのように、一日に数時間くらいの停電を国民が辛抱するくらいの覚悟を決め
て、中長期的なエネルギー政策、電力政策を根本から見直す必要があるのではなかろ
うか。
(来週一週間【16〜22日】、私たじま要はお盆休暇を取らせて頂きます。日記は23日の月曜日か
ら再開させて頂きますので、よろしくお願いいたします。)
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