犯罪の中でも、最も卑劣なものの一つが幼児虐待だと私は思う。連日、これでもかこれでもかというように、悲しい犯罪が後を絶たない。なぜ最も卑劣か。犠牲になる子供等は、全く抵抗する術を知らないからだ。そんな幼い命がむごい殺され方をする今の社会に、私は言葉に尽くせぬ強い憤りを覚える。大半の普通の大人達から見れば信じられないことではあるが、残念ながらこの日本にも相当数の親とは呼べない人格の「オトナ」が生きているということだ。
これほどまでに事態が深刻になると、いわゆる親権なるものにも、裁判所などの公権力が少し干渉を強めたほうがいいのかもしれないと思う。子供を産み、育てるにふさわしい意思と人格が備わっていないにも関わらず、「親」になってしまう大人が多すぎる。それは、誰にとっても不幸な出来事なのである。将来、親としての心得など、一定の教育を修了、あるいは審査をクリアしないことには子供を作れない(あるいは作らないように勧められる)というような極端な話も、もちろん無いに越したことはないが、ひょっとしたら沸き起こってくるかもしれぬ。これでは中国の一人っ子政策並に民主主義らしからぬということになるが、全く罪も無い多くの幼い命が奪われる問題を解決するためには、もはや背に腹は代えられぬ、という声も出てくるであろう。また、より現実的には、虐待の危険性のある親からは、公権力が今よりももっと積極的に介入してその子供を引き離し、犯罪を未然に防止できるようにする仕組み作りも急務だろう。危険性の予測というのは常に困難を伴うが、英語で言うところの"err
on the safer side" すなわち、どうせ(予測を)誤りを犯すのなら安全な側に犯す、という基本方針で臨むべきではなかろうか。
刑法の厳罰化が今臨時国会でも議論される。罰則を強化しても社会へのメリットが無い、という主張も聞かれるが、私はそうは思わない。罰則強化が万能ではないが、罰則強化は必要条件として必須である。もちろんそれを補うのは教育である。ただ、今すでに親の年齢に達したような世代に対しては、教育に余り大きな期待は出来ない。日本を健康体に戻していくことは、主に次の世代に照準を当てた時間と手間のかかる作業なのだ、という覚悟が必要だ。
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