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発信する市民

 

私とも日ごろから付き合いのある一般市民らが立ち上げた勉強会が、最近調子を上げてきている。定期的にやっているのだが、毎回議論も白熱し、また勉強会の後の二次会も深夜まで及ぶ。先日も千葉市の公共事業に関する勉強会が開かれた。土曜日だというのに、千葉市の職員が大勢説明者として来ていただき、市民の間から色々な質問が出ていた。

市民が行政のことに関心を持つのは大変結構なことだ。だが同時に、少し考え込んでしまった。少し昔の話だが、市民の活動が盛んな東京の三鷹市では、市民による行政への発信力が強まるにつれて、市議会議員の存在意義が問われるような状況になったのだ。確かに間接民主主義を前提として考えれば、一般市民の政治的な意思表示というのは選挙によって行われ、選挙で選ばれた議員が行政を監視する機能を果たすというのが建前である。従って、そういう前提の上に成り立っている議員の立場からすると、行政への発信力を高めた一般市民というのは、彼らの存在意義を脅かすという意味で痛し痒しという面が確かにあるのである。また、同時に行政の側にとっても悩ましい部分があろう。今回は休日にもかかわらず大勢の行政職員が"出勤”して市民への情報公開・説明責任を果たしてくれた。しかし、果たしてどこまでこのような市民サービスをする"義務(義理?)”があるのか。国との比較をしてみれば分かりよい。霞ヶ関の官僚が、どこかの市民の要請を受けて、わざわざ公的年金制度の説明のために出張して来ることはまずあり得ない。地方の行政においても、常識的な程度を超えれば、「議員を通してやって欲しい」というような声が出てくるのではなかろうか。

だが、まあ当面は良いのであろう。千葉市が三鷹市のような(ぜいたくな)悩みを持つのにはまだ大分時間がかかりそうだ。とりあえず、市民がどんどん行政や政治に関心を持ってもらうこと。それによるメリットはデメリット(行政コスト等)をはるかに上回ることであろう。とにかく政治家がもっと危機感を持って勉強してくれるようになるだろう。千葉はなんと言っても保守王国。国会議員だけは民主党が多くはなったが、一皮向けば何のことはない地方政治については昔ながらの政治が続いているのである。行動する市民、発信する市民、監視する市民は間違いなく近い将来、千葉の地方政治、地方行政にも大きな自己改革を余儀なくさせることになるであろう。分権型社会というのは、こういう発信する市民が育ってこそ機能する社会なのである。

 
   
2005年2月1日
田嶋 要
 
 


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