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司法と主体的市民

 


昨年の通常国会で民主党も賛成して関連法案が可決されたいわゆる裁判員制度が、2009年までには施行になる見通しである。先日シリーズでこれを取り上げていた特集テレビ番組は大変興味深かった。生涯に裁判所から「あなたは裁判員候補に選ばれました」という通知を受け取る国民は13人に1人だという。そう聞くとこの制度が急にリアリティを持って迫ってくる感じがする。また、実に3人に2人の国民が裁判員にはなりたくないと思っているということ。多くが、自分には人を裁けないと感じていること。それらの正直な気持ちは痛いほどよく分かる。一方、番組の中で疑似体験を経た人の多くが、制度の前向きな意義を次第に見出していったこと。これもよく分かった。

ただ、番組を見て一層不安感を増した面も否定できない。立法の手を離れた今、行政が今後細部を詰めるとういことなのであろうが、まず呼び出しを受けた候補者の中から具体的にどんな手続き・判断基準で裁判員が選定されるのか。本人の意欲を重視するイタリアなどの例と異なり原則義務となるわが国では、選ばれないようにするための様々な工作が企まれる可能性はないのか。また被告人やその関係者の逆恨みから裁判員をどう守るのか、という根本的な問いに対しての専門家のコメントは、残念ながら実に歯切れが悪かった。

70年の伝統を持つイタリアを始め多くの先進諸国でこれに似た制度が既に定着している。だからといって、司法の世界が国民から限りなく遠い日本でもこの制度がうまく機能する保証はない。試行錯誤の連続だろう。ただそれでも、私としては、責任ある主体的市民としての意識を培ってゆく(日本もその方向を目指す他ないのだ)契機として、日本におけるこの制度にも(若干緊張した面持ちで)一定の期待を持ちたいと思っている。

 

 


 
   

2005年2月16日
田嶋 要

 
 


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