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紆余曲折を経て、ようやく京都議定書が批准された。米国、中国、インドといった大国が参加していない不十分なものとはいえ、世界の多くの国々が環境に関する共通の問題意識を持ち、それぞれの責任において世界環境を改善させるべく努力をする枠組みが設定されたことは、大きな前進、確かな一歩だといえよう。日本の産業界はこれまでも血のにじむような企業努力を続けてきたとされ、その甲斐もあって世界の5%の二酸化炭素排出量に留まっている。それは先進諸国の中では優等生かもしれないが、世界の60億の人口との比較で考えれば、3億人分の排出を1億2千万人で行ってしまっているという計算だから、まだまだ世界の環境に過分の負荷をかけているということは間違いない。日本の当面の責任分担は1990年の水準から6%削減というのだから大変な努力を要するが、この議定書を機に民も官も挙げて目に見える具体的活動に取り組むべきである。
問題は、米国である。あの国は一国で世界の二酸化炭素の25%を排出している。日本の人口の2倍で、日本の排出量の5倍であるから、米国人一人あたりは日本人一人あたりの2.5倍の二酸化炭素を排出している計算になる。一体どんな暮らしをするとそんな排出量になってしまうのだろうと思うような、あきれた数字である。これは私自身の個人的な経験とも符合する。もう15年も前のことだが、ワシントンD.C.で米国人3人と共同生活をしていた。そのときに文字通り湯水のように水道や電気やガスやガソリンを使う彼らの生活スタイルに目を剥いた覚えがある。もちろん彼らには悪気もないし、贅沢をしている気もない。彼らは外国暮らしをしたことがないから、他の国との比較のしようもない。要するに、物価が安いのである。何でも湯水のように使っても家計を圧迫しないのである。米国という資源大国であるがゆえに、このようなライフスタイルが作られてしまったというのが、一面の真実なのである。
21世紀の人類の挑戦は、このように20世紀の大量消費に慣れてしまった私達のカラダとココロを、いかに自制していけるかということだろう。自制というと禁欲的に聞こえるが、「その方が楽しい、その方が幸せだ」という価値観を持てるかどうかだ。あのロシアでも批准したのである。オトナになった米国がいつになったら京都議定書の批准を行うか、それが当面最大のメルクマールであろう。
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