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今日は民主党両院議員総会に出席するために久しぶりに永田町に行きました。久しぶりに再会できた、真っ黒に日焼けした“戦友”同士が、共に国会に戻ってこれたことを喜びあう一方、議員会館のあちこちで、落選した前議員らの事務所の引越しのダンボールの山を見ました。深夜2時過ぎに南関東の比例区で最後の一議席を頂いた私には、この対照的な風景が特に胸に迫るものがありました。
さて、総会では、先の選挙の総括も行われました。多くの両院の議員が発言をしました。私も終わりの方で手を挙げ、「二期目の決意、一期目の反省」という思いで以下のような趣旨の発言をしました。
まさに“首の皮一枚”つながって二期目を頂戴した私には、今回の戦いを経てつくづくと思うことがあります。2年前、19年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、初挑戦初当選をさせていただいて以来、一期目を全力で過ごしました。そしてその中で、一国民の感覚として、民主党の判断に疑問を持つ場面が幾つかありました。一つは審議拒否。一つは対案を出さないこと。それらの共通点は、「直感的に分かりにくい」、ということです。もちろん、党の判断にはそれぞれに説明があるのだと思います。しかし、そういった説明を聞く以前に、「あれ、どうしてだろう?」と私が素朴に感じることは、実は多くの国民も感じることなのです。これは当たり前のことなのですが、しかし、こうした感じ方を一期目の私は徹頭徹尾党内で主張するということが必ずしもできませんでした。もちろん党内では審議拒否にも反対し、対案を出すことも主張しました。しかし、党幹部からの「説明」を受けて、それ以上反対することはしなかったのです。政治の世界の経験の浅い者としての、ベテラン政治家への「遠慮」だったのかもしれません。
今回の総選挙で民主党が大敗をしたのも、まさに郵政を巡る民主党の「分かりにくさ」が主たる敗因の一つあったと思うのです。「法案には反対だが、民営化には賛成」というような主張は、仮に十分説明を尽くせば支持される中身であっても、総体としての国民には、分かりにくい主張として退けられてしまうということです。私の中にある一国民としての感覚にもっと忠実に、敏感に反応しておれば、過去の幾つかのターニングポイントにおいて、党内での一定の役割を果たせただろうにと、悔いが残ります。「分かりにくさ」は最大の敵。そう肝に銘じて、二期目は党内でしっかり発言をして行こうと決意しました。
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