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公開授業

 

地元の公立学校で公開授業というのがありまして、今日は先週の中学校に続き、高校の公開授業を参観してまいりました。教育というのはもちろん非常に大切な国政分野の一つなわけですが、特にこの分野はほとんど全ての国民が等しく実体験を持っているわけで、その意味で誰もがその体験を踏まえて、何が良かったか、何が悪かったか、どうすればいいか、などについて様々な意見を持っていると考えられます。医療などでも同じことが言えます(医療も多くの人々が患者としての体験がある)。私もそんな色々な意見を持つ一人ですが、先週と今日と久しぶりに教育の現場に足を踏み入れて、やはり色々と感じました。以下に箇条書きにします。

・具体的には差し控えますが、必要性に?が付く授業があったこと。

・相変わらず、英語が「学問」として余りにも分析的な手法で教えられていること(昔も今も、変わらない)。

・先生が話しているときに、ほとんど生徒の誰も顔を上げていない(下を向いている)授業があったこと。

・「あれじゃあ眠くなるだろうな」と生徒に同情したくなる授業があったこと。

・黒板に書く漢字の書き順を正しく書けない先生が複数いたこと。

・“ぞうり”を履いて教えている先生が複数いたこと(役所と同じ風景)。

・パソコンが職員室のそれぞれの先生の机に置かれていないこと。

・とにかく設備が古く、教育にお金が回っている印象を受けないこと。

教える内容に関しては、これはそれぞれの先生の問題というよりは、おおもとの学習指導要領の問題でしょうが、多感な十代の貴重な時間に、果たして大人たちは彼らに何を教えるべきなのか、ということを、もう一度真剣に議論しなければならないと思いました。むろん、実社会で役に立たない内容は教える必要がない、と言っているのではありません。数学など、私は実用性が無くとも教える(考えさせる)意義を認めるわけです。ただ、私の学生時代を思い返しても、本当になぜあのような分野を時間を掛けて勉強しなければならなかったのかと、今でも失われた時間を恨めしく思うことがある者の一人として、これからの子供達には同じ思いをさせたくはないと思うのです。これは要するに先生の雇用問題だ、と以前どなたかが喝破されましたが、確かに教える内容を根本から見直すということは、教える側には大きな影響が出てくるでしょう。しかし、それでもやらねばならないのです。

教え方の問題は、これは先生の問題です。個人差が大きいですね。やはり公務員制度の悪平等というのは、教育の現場でも問題が大きいのでしょう。民間のやり方を参考に、改革をしていかねばなりません。ただ、どんなに教え方を工夫しても、教える内容の限界というのもあるように思います。教室での座学の限界も感じます。むしろ、私の持論ではありますが、多感な年齢だからこそ、“現場に放り込む”時間をもっと増やすことも検討すべきなのかもしれません。福祉でも環境でも子育てでも、何でも良い。とにかく教室の外で学ぶということです。

あと、改めて教育にもっとお金を掛けねばと感じました。子供達が毎日の多くの時間を過ごす学校が、余りにも軽く扱われていると思います。民間の大企業などのビルの豪華さなどと比較して、何かがオカシイと思うのです。そんな立派なビルを建てる余裕のある大企業の法人税とかをもう少し重くして、その分教育への投資を増やすとか、必要なのではないでしょうか。

余談ですが、今日はその後、ある支持者のお店(ブティック)で女性のオーナーさんと話し込んでしまいました。思いのほか長居してしまったのは、教育論議が熱を帯びたからです。でも、少し憂鬱にもなりました。彼女いわく、そのブティックのお客さんは、地元の医者の奥さんが多いということなのですが、彼女らが異口同音に言うことは、「千葉には良い教育が無い。だから子供には気の毒だが遠距離通学させて東京の学校に行かせている」ということでした。そういうお母さん方と、千葉の学校の先生との間で、一度話し合いの場を設けてみたいと思いました。


 
   
2005年11月21日
田嶋 要
 
 


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