私の政治哲学

□  最も困っている人、苦しんでいる人のために汗をかく

原子力災害現地対策本部長として福島での3ヶ月間の駐在任務(2011年6月から9月初旬まで)は、いま最も苦しんでいる福島の被災者のために汗をかけたという意味で、政治家として本望でありました。と同時に、私の政治家人生の中でも実に貴重な経験、かつ大きな転機になったのではないかと感じています。8年前に私が掲げた政治信条、現場主義・誠実主義・挑戦主義は、間違っていなかったのだと、改めて福島駐在時代に一層強く確信をしました。これから5年、10年、それ以上に、福島と東日本の被災地の復興を、わが国の国政の中心的課題として、かつ新たに逞しい日本を自分たちの手で築き上げていくスタートラインとして位置づけ、引き続き全力で国政にまい進します。

□  夢と希望とを追い求める

政治には明るさが必要です。ワクワク感も必要です。誰しも将来・未来には不安があります。そしてその不安を乗り越えるためには、何か信じるもの、何か目指す目標、そして日本がこんな国になる、そんな日本に自分も生きられる、そう国民ひとり一人が感じられることが大切だと思います。そういう意味で、いつの時代であっても、人にも国にも「成長」は必要です。ただし、「成長」は質的に変化するのだと思います。今後は、やはり経済的な豊かさ、物質的な豊かさ以上に、精神的な幸せ、内面の充実感、安心感がより強く求められる日本になっていくと思います。安心感という意味では、3.11を経て、「防災」即ち災害に強い国づくり・街づくりも今後益々重要なキーワードになってくると考えます。

□  国際社会での使命を果たす

世界を知れば知るほど、そして歴史を学べば学ぶほど、日本はすごい国、すばらしい国だと思います。これまでに培った日本の技術・知見や文化や日本人の精神性は、これからこそ世界に大きな貢献ができるのです。核廃絶のイニシアチブは言うまでも無く、省エネ技術やCO2を出しにくい技術など、21世紀のわが国が、世界全体を、より平和に、より幸せな場所にするために、大きな「使命」を持っているのだ、という感覚が重要だと思います。

□  子どもたちのことを中心に考える

極論を言えば、「政治は子どもたちのためにある」と言っても過言ではないと思います。生まれた瞬間の人間には、平均すれば最も長い人生があります。だからこそ、その人の人生に及ぼす政治のインパクトも最大になります。大人たちは、それぞれに、次の時代・次の世代のことを意識しながら生きているものです。そういう意味で、政治は、今を生きる大人たちが、未来の世代・次の世代に恥ずかしくない日本を残し、しっかりと引き継いでいくことだと考えます。と同時に、最も生きたお金の使い方は、「人への投資」「教育」にあると確信をしています。

□  社会の不条理・不公正を排す

官と民との間の不公平を正し、「官尊民卑」と徹底的にたたかい、税金の無駄遣いとたたかい、犯罪や不正、虐待、差別、いじめの社会とたたかいます。平和を脅かす脅威とたたかいます。毎年3万人を超える自殺者が出てしまう日本を一日も早く終わりにさせなければなりません。

□  己を虚しく、自ら計らず

 私の座右の銘は「足るを知る」です。自分も家族も健康で、日々、「世のため人のため」に全力投球できることに、心から感謝の気持ちで一杯です。そして、政治家としていつも考えること、福島に行く前後でも大切にしたことは、「己を虚しく」し、自分の政治家としての損得などは絶対に考えないこと、そして、任務については「自ら計らず」、自分が必要とされるところで、自分を必要としている人のために働く、ということでした。

 政治家としての軌跡

初当選から二期目までの野党時代は、無我夢中な国会質問の連続でした。党の仕事としては、前原代表・岡田代表・小沢代表と3人の代表に補佐として仕えました。細野代議士とは代表室時代からご縁がありました。

三回目の総選挙で政権交代が実現しました。その後、最初の大きな任務が「事業仕分け」。蓮舫参議院議員とペアを組んで、構造的な税金の無駄遣いを徹底的に洗い出しました。次に「成長戦略」。事業仕分けが「マイナスを減らしていく」任務だとすれば、成長戦略は「プラスを増やしていく」任務。どちらかといえば、こちらが民間企業出身の私の体質には合っています。

2010年9月に、当時の菅総理からの指名で「経済産業大臣政務官」を拝命しました。「成長戦略」推進、COP16出席、資源外交推進などを含め、まさに「水を得た魚」のような気持ちで、全力投球させて頂きました。昔、国際ビジネスをやっていた時代の英語が、突然また必要になりました。

2011年6月、当時の菅総理、海江田経済産業大臣に請われ、突然、「原子力災害現地対策本部長」を拝命しました。3.11からのわずか3ヶ月の間に現地の本部長が何度も交代し、国会でも強い批判を浴びましたが、その後を継いだ私は、お蔭様で無事3ヶ月間の任務を全うすることができました。子どもや妊婦さんの健康を守ることを常に意識しながら、福島県知事・副知事や多くの飯舘村の菅野村長や川内村の遠藤村長を始め多くの市町村長の皆さんとも連携して、様々な被災者支援を行わせていただきました。

2011年9月、福島駐在を終え、同時に経済大臣政務官の任務も終え、久しぶりに国会を中心に衆議院議員としての活動を再開しました。経済産業委員会の筆頭理事、東日本大震災復興特別委員会の次席理事、民主党復興プロジェクトチームの事務局長、超党派の地熱発電議員連盟の事務局長、そして今年からは経済産業部門長などを拝命いたしております。
詳細は、>>プロフィール 

なお、私は現在、前原グループ(凌雲会)に所属しています。派閥という意識は無く、むしろ気軽な情報交換が主なメリットです。また、グループとは関係なく、個人的に近しい議員には、同じ民間出身で、大前研一さんがつくった「一新塾」にもご縁のある同世代の長妻昭衆議院議員や長島昭久衆議院議員、高校の同窓である大塚耕平参議院議員、大学のクラスメートの鈴木寛参議院議員などがいます。ちなみ自民党の西村康稔衆議院議員も大学のクラスメート、林芳正参議院議員はワシントン駐在時代の仲間、世耕弘成参議院議員はサラリーマン時代の同僚です。


Back to Top ↑