私の米国時代・フィリピン時代

掲載日:2020.01.21

 私のプロフィールにある世界銀行グループIFC(国際金融公社)での勤務経験についてお問い合わせを頂きました。私のキャリアの中でも大変重要な経験でしたが、これまでブログなどで記したことがありませんでした。せっかくの機会ですので、当時を少し振り返ってみたいと思います。
 私は民営化直後のNTT在籍時に日本政府人事院派遣で米国のウォートンビジネススクールに2年間の留学をいたしました。留学1年目の終了後にはニューヨークのゴールドマン・サックス社でサマージョブを12週間(東京オフィスでの1週間を含む)、コーポレートファイナンス部門で体験しました。また、卒業間際にはIFCの面接を受け合格をさせて頂きました。貴重な機会でしたので当時の勤務先に相談し、許可を得て、出向の扱いでIFCに勤務することになりました。そしてフィラデルフィアからワシントンD.C.に引っ越しをし、IFCで投資官として勤務を始めました。

 (リンク)採用された当時の世界銀行の社内誌 22ページの新規採用スタッフ一覧に「Kaname Tajima Japan Invest. Ofcr./IFC/8/26」として記載があります。

 最初の配属は東南アジア部門でした。その部署には日本の金融機関から出向されていたシニアの投資官もおいででしたが、私はフィリピン人のシニア投資官のチームに加わり、インドネシアにおける日系企業の資本も入った合弁の石油化学工場へのプロジェクトファイナンスを初めて経験させて頂きました。その後中東部門へと異動し、ヨルダンのジェネリック製薬企業の製薬工場建設プロジェクトを担当しました。2年目の途中からはさらに東欧部門に移り、ポーランドのフロートガラス工場への案件やエストニアのセメント工場の案件を扱いました。こうして年間のかなりの期間を飛行機で飛びまわるような生活が続きましたが、2年過ぎたところでIFCでの勤務にはピリオドを打つことにし、日本に戻って再びNTTで働き始めました。
 東京で勤務に復帰して程なく、私の国際金融公社での経験が多少なりとも活かせる分野として、当時NTTが通信分野で進出可能性を探っていたフィリピンへの投資検討を任されることになりました。それまで長年動きが停滞をしておりましたが、私が着任後に人間関係を作っていたベンチャー企業がタイミングよく事業ライセンスを獲得し、私がプロジェクトマネージャーとしてそのベンチャーの通信事業者へのNTTからの出資そして人員派遣までファイナライズすることができました。更にその流れの延長線上で、私自身がその通信ベンチャーの戦略担当アドバイザーとしてマニラに赴任することとなりました。その滞在も当初は2年間の予定でありましたが、今度はその通信ベンチャーが香港の親会社とともにフィリピンの既存大手通信会社との(小が大を飲み込む)M&Aの検討を始め、それにNTTグループも参画する検討を始めることになりました。私がマニラと東京と香港とを何十回も行き来する生活となりさらに3年間マニラに滞在をすることになりましたが、紆余曲折の末最終的にはそのM&Aも成功し大きな果実を生み、現在のフィリピン最大手の通信事業グループの誕生につながりました。

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