【現地本部長日記】「嗚呼、オフサイトセンター」

掲載日:2011.07.08

【現地本部長日記】「嗚呼、オフサイトセンター」

昨日の東京電力福島第一原子力発電所(1F)への視察の道すがら、その発電所が事故などの異常事態に陥った際、その事故収束に向けて対処する本部機能を果す「オフサイトセンター」にも立ち寄りました。場所は、1Fから南へ行くこと約5キロの大熊町にあります。

といっても、実はこのオフサイトセンターは今、使われていません。代わりに、私が詰めている県庁の5階に急遽こしらえたオフサイトセンター(現地対策本部)があり、そこの本部長が、この私ということです。なぜそうなったかと言えば、1号機に続いて3号機が爆発し、大熊町のオフサイトセンターは作業に耐えられない高い線量(建物の中で毎時12μシーベルト)になってしまったからです。しかも、地震・津波の影響で、上下水道と電気が途絶え、結局このセンターからは3月11日から5日後に全員が退散したのです。

事故の際に現地の対策本部となるはずのオフサイトセンターが、肝心の事故になったら使えなかった。冗談のような本当の話です。建物の中には、様々な通信機器や映像装置や地図や、すべてのインフラが備わっていたのに、肝心の放射線からの防御が不十分だったとは、皮肉としか言いようがありません。つまり、これほどのひどい事故が起きることは想定をしていなかった、ということなのです。

実は、私はその矛盾を3月時点で感じ、試しに全国のオフサイトセンターを調べてみたのですが、今回の規模の事故が起きたと仮定すれば、恐らくは多くのオフサイトセンターが同じように機能しなかったと考えられるのです。あの浜岡原発に至っては、そのオフサイトセンターは原発からわずか2キロの距離にあり、放射線から防御できる構造にもなっていません。

先日、石破政調会長はじめ大勢の自民党議員の方々が、この大熊町のオフサイトセンターを視察されたいというので、ご覧頂きました。深刻な事故時には全く使えない現地対策本部。そういう立地や遮蔽構造を選んだのも、かつての政府の原子力政策です。事故が収束したら、石破さんとも、過去のこうした判断を今どう思うか、についても話してみたいと思っています。

【現地本部長日記】「嗚呼、オフサイトセンター」

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